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「週刊朝日」にライター和田靜香さんと立憲民主党議員の小川淳也さんの対談記事を執筆


9月21日発売の「週刊朝日」(2021年10月1日号)に「〝時給最低ライター〟が立憲民主議員と「ガチ対談」 小川淳也×和田靜香」を執筆しました。



音楽と相撲を中心にライターとして働いてきた和田さんは、音楽業界が変遷していく影響を受け、コンビニやパン屋、おにぎり屋などのバイトと兼業しなければ、生活を支えられない時期を経験することにもなりました。しかし、働き続けても生活は一向に楽にならず、将来は不安だらけ。おまけに、「あなたの人生のダメさや不安は、あなたの自身の問題じゃないですか?」と社会でジワジワと増す自己責任論にも追い詰められます。体調を崩し、心身ともに苦しむなかで、「本当にそうなのか?じゃあ、どうすればいいのか?」と模索し、その突破口の一つとして政治の問題に行き着きます。けれど、政治のことはほとんど分からない。だったら、国会議員に直接、聞いてみようと、映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」をきっかけに知った小川淳也さんをたずねるところから、本は始まっています。


この本の存在を知った私は、すぐに和田さんにコンタクトを取り、タイミングよく小川さんとの対談をセッティングすることができました。『時給はいつも〜』の和田さんと小川さんは、日本最大の課題である少子高齢による人口減少問題、税と経済問題、労働環境、環境、エネルギー、原発、沖縄の米軍基地と幅広い政治問答を展開しています。「週刊朝日」の記事では、それらの対話が生まれた経緯や実際のやり取りでのエピソード、本の刊行後、衆議院選挙が迫る今、お二人が感じること、考えることをうかがいました。


本の刊行後、和田さんの元には「政治のイロハも知らないで本を書くのはいかがなものか」的な感想も寄せられているそうですが、私はむしろ、「そんなにみんな政治に詳しいの?」と思ってしまいます。そう私が感じるのは、医療記事を長年、執筆してきた経験から、専門性が必要な分野ほど、知ったかぶりをすることの危うさを痛感しているからかもしれません。基礎の基礎である物事の定義や根拠を聞くことが、専門を理解する道筋でとても重要だったりするのです。


高度経済成長以降、日々の暮らしがそれなりに成り立っていた頃は、政治家が何をやろうと、多くの人は生活にさほど支障はなかったと思います。でも、過去の資産を食い潰してしまった今は、政治のあり方が生活や生命に直結するようになってしまいました。10年前と比べてみれば、私もなんでこんなに政治のニュースに敏感になっているんだろうと不思議に思うくらいです。


それだけ以前は生活と政治がかけ離れていたわけで、政治に関わらざるを得ない今は、和田さんと同じく、いったいどこから政治というものに向き合ったらいいのか、そのとっかかりさえよく分からない、という人のほうが多いのではないでしょうか。先週、TVのニュースを観ていて、心が苦しくなったのは、非正規雇用という不安定な立場でも長年、きちんと働いてきたのに、コロナ禍で仕事も家も失い、生活保護の申請を考えている男性が、「政治には何も期待しない。自分には関係のないことだから」とコメントしていたことでした。「自分の生活や人生が政治とは関係がない」と捉えてしまうことは、結果的に苦境から抜け出すことにつながらず、問題は深刻化していくだろうと思ったのです。一方で、現在の状況が長続きした方が、得をする人たちがいるであろうことも。


政治は高尚で専門知識を持っている者だけが語り合い、動かすモノで、知識に乏しい「オンナコドモ」が語るべきテーマではない、などと言っている時代ではないのだろう、と思います。無駄に敷居が高い政治の世界に、和田さんは8カ月にわたり、初歩の初歩から体当たりで疑問をぶつけ、破格の熱量で資料や参考文献を読み込んで学び、考え、自分なりの関わり方を見つけ出しました。その道筋は、私たち読者が政治とどう関わっていくか、今の日本がどのような問題を抱えているのかを教えてくれる、絶好の橋渡しになってくれています。


そして、その橋の建設を助けてくれたのが、真正面から和田さんに向き合った小川さんの言葉の数々です。「あんた、そんなことも知らんのかね」と口をへの字に曲げて質問者を突き放すどこぞの政治家とは違い、小川さんは、和田さんの疑問や不安を真っ向から受け止め、自らの政策を重ね合わせながら、政治を解き明かしてくれます。本を読み進めるうちに、2人の関係は「先生と生徒」から、和田さんという主権者と、日本に住む人の代理人である政治家という対等な関係に変化していきます。


同じ「生活者」の視点を持ち、和田さんは「こうあって欲しい」という誰もが安心して暮らせる理想的な社会のあり方を願う立場から、小川さんはその思いを政策として実際に動かす立場から言葉を交わしていく。小川さんが「デスマッチ」と評したプロセスを読むと、政治の世界が、支配する施政者と政策に従う従属者という上下関係で成り立つものではなく、政治の問題は自分の問題であり、主権は自分にある、という民主主義の根幹を肌感覚で理解し、納得できるようになっていきます。


『時給はいつも〜』で、和田さんは小川さんの政策にすべて賛同しているわけではありません。意見が食い違ったり、対立する問題もあります。小川さんは、この本は「ゴールではない」と言います。この本で交わされる対話を踏まえた先に、どこを着地点として、具体的に政策を実行していくのか、という最大のミッションが控えているからです。その難問に私たちの誰もが向き合わなければならないのか、と思うと、面倒くさがりの私は身震いしてしまいますが、和田さんと小川さんの対話を通じて、主権者としての権利と義務を学ぶことにもなりました。


記事のタイトルはキャッチーにするため、“時給最低”を強調していますが、和田さんの不安や悩みは、年齢や職業、家族構成、生活水準に関係なく、日本に暮らす多くの人に共通するものではないかと思います。私もお二人への質問状の項目の一つに「(本を読んで)和田さんは私だと思った」という文言を書いていました。取材時、小川さんの手元を見ると、その部分に赤線を引かれていました。そして、「この一説に希望を持っている」とも。理由は、政治は誰もが参加できるものであり、誰もに参加してもらいたい。日本に住む全員が共に考え、悩みながら未来を作るプロセスが小川さんが理想とする政治のあり方であり、政治家は、そのプロセスを実行に移すための代弁者である、との考えがあるからです。


このコロナ禍で顕著になったことが一つあります。それは、政治家には政策を蕩々と自分目線で語るだけでなく、日本に暮らす人たちを思いやる「エンパシー」を持った言葉で話して欲しいということです。それについても、「週刊朝日」の記事に書いた和田さんと小川さんが交わす言葉は、とても心に響くものになっています。








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