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金菱清先生と藤田直哉さんの対談記事がYahoo!ニュースに掲載

更新日:2021年8月20日


 東日本大震災の「震災の記録プロジェクト」を続けている関西学院大学教授・金菱清先生と、震災文芸誌『ららほら』を発行している文芸評論家・藤田直哉さんの対談が、Yahoo!ニュースに掲載されました。








 

 東日本大震災から10年ということもあり、今年は例年以上に震災のニュースが多いように感じます。ですが、私は、いつも今の時期になると思い出してしまいます。『私の夢まで、会いに来てくれた』に登場する語り手のお一人の言葉です。



「今も三月十一日を過ごすのは苦手だ。三月に入ると、突然、マスコミが震災特集を組むのも苦々しく思っている。(中略)命の瀬戸際で震災を経験した人間にとっては、亡くなった人へ思いを寄せ、祈ることは、毎日のことだからだ。震災の日だけ黙祷を捧げたり、手を合わせたりする人と一緒にされたくないと」


 この言葉を初めて読んだときに、「私もその一人だなぁ」と恥ずかしく感じました。仙台出身であることと金菱先生と『私の夢まで、会いに来てくれた』を制作したことから、震災の記事を書くことも多いのですが、東京在住で書くことに、いつも後ろめたさがあります。それでも、東北を知る人間として書くことには、何か違う意味があるかもしれないとは思っているのですが。


 今回のYahoo!ニュースの記事でも、「語られない言葉」が対談の中心になりました。東日本大震災は被害が広範囲で、多くの人たちが影響を受けています。今年もさまざまな方たちの記事を目にしますが、その陰に「語ることのできない方たち」がたくさんいることも考えさせられます。


 私が被災地を自分の目で見たのは、震災から2カ月弱の5月でした。津波に襲われた場所に立ったときの「言葉にすることができない」という無力感と敗北感は、今もずっと胸のなかに残っています。それでも、ライターを続けるのであれば、言葉にする努力は続けなければと思いながら、時間が経っていきました。その思いは、これからも続いていくのだと思っています。


 Yahoo!ニュースの記事は、お二人の言葉をすくいとり、薄い氷の上を歩くような慎重さで書いた結果、5000字を超える長文になってしまいました。それくらい、「語られない言葉」とは、繊細なものなのです。


被災した方の体験談でもなく、記憶を呼び起こす力はさほど大きくないので、内容は地味だと思います。けれど、お二人のやりとりには、人とつながりあうために大切なことが語られていると思っています。


 


 



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