『私の夢まで、会いに来てくれた』文庫判が2月5日に発売になります


2018年に発行された『私の夢まで、会いに来てくれた 3.11 亡き人とのそれから』(金菱清ゼミナール編 東北学院大学震災の記録プロジェクト)が、震災から10年になる今年、文庫化されます。


発売日は2月5日。現在、予約受付中です。


この本の編者は、宮城県仙台市にある東北学院大学の金菱ゼミの学生さんたちです。災害社会学をテーマにする金菱清先生のもとで学ぶ、3年生のゼミ生と2年生が、東日本大震災で家族や友人を亡くした方たちに、どのような夢を見ているのか、聞き取り調査をしました。




金菱ゼミでは、東日本大震災の発生直後から、被災者の皆さんに手記を書いてもらったり、聞き取り調査を行ったり、亡くなった人宛の手紙を書いてもらうことで、一般的な報道では抜け落ちてしまう場所や時間で何が起きていたのか、人々はどのような気持ちで災害と向き合っているのかを、丹念に調べてきました。


今年の金菱先生のインタビューがつい先日、ウェブにも掲載されました。こちらに、どのようなフィールドワークが行われたのかが書かれています。


「私は死んだのですか」運転手に聞いたタクシー客 被災地と幽霊の深い関係(朝日新聞 GLOBE+ 2021年1月19日掲載)


ゼミ生の卒論は新曜社さんから毎年、1冊の本として発行されているのですが、夢の話は、2年生と3年生の課題だったことと、一般書に近い内容でもあったので、朝日新聞出版から発行することになりました。


文庫判には、この3年間の変化を受けて、金菱清先生があとがきを追加しています。また、宗教学者の島薗進先生が素晴らしい分析の解説を書いてくださっています。


親本の発行は3年前ですが、私は2018年のことが遠い昔のようにも感じています。それくらい社会が変わってきたということなのでしょう。



突然、大切な人を失う経験は、東日本大震災以降も災害の頻発で、2000年代以前よりずっと多くの人に起こるようになりました。新型コロナも大きな災厄の一つです。報道では亡くなった人は数字でしか語られませんが、お一人お一人に人生があり、その死を悲しむ家族や友人知人がいるはずです。でも、その悲嘆の声はほんの一部しか、表に出てきません。


人の死はパーソナルなものですから、故人を知っている人だけで感情を共有するものではあります。ただ、その死が突然だったり、周囲にとって納得できない経過をたどった場合は、どうしても受け入れられないこともあります。あまりにも悲しみや喪失感が深すぎるため、なかなか身近な人とも共有できないこともあるでしょう。そんなとき、ケースによっては、見ず知らずの人の体験を聞いたり読んだりすることで、ほんの少しでも痛みが和らいだり、死の背景を別な視点から見つめるヒントが得られることもあります。


『私の夢まで、会いに来てくれた』は、亡き人との夢のなかでの出会いが語りの中心になっているだけに、生と死の境界線があいまいになり、亡くなった人が今もそばにいて、一緒に生きているような、不思議な温かさが文章に現れることになりました。



人は目に見える現実の時間と、その奥に隠れている無意識の時間を生きているのだと思います。ふだんは現実の時間だけが自分を取り巻き、無意識の時間を感じることはありません。しかし、人生に何らかのほころびができたとき、無意識の時間が必要になります。そして、もう一度、現実の世界で生きていくために、人は無意識の世界まで下り、矛盾に満ちたできごとを体験しながら、感情や記憶の整理をする時間が必要なのだと思います。


文庫判では、柔らかい雰囲気のイラストだった親本とイメージを変え、海の写真を表紙に使いました。海の写真は、津波を想起させてしまうのでないか、大丈夫だろうか、という意見も交わされました。その上で、光輝く海上の写真を使ったのは、夢の話が哀しいだけでなく、未来を指し示してくれる光の部分も表現したかったからです。


手に取りやすい価格になった文庫判が出ることで、より多くの人にまた読んでいただければと思っています。この本の語り手の一人は、こんな言葉を学生さんに贈っています。


「夢の話は絶対に誰かのためになる。被災地で声を出せない人に夢の話が届いたら、心の復興を助ける一つになると思うんです」


 震災直後はあれほど、自分がどんな境遇にあったか語られていた言葉が今は見つけるのが難しいほど、表に出なくなってしまいました。しかし、語りたい言葉を胸に秘めている人はまだたくさんいると思います。また、東日本大震災以外の災害や事故などで、突然の別れがあった人であれば、心のうちを誰かに語りたいと思っているかもしれません。誰かに実際に語ったり、伝えることはなくても、気持ちを形にして、自分で眺めることのできる「言葉」を紡ぐきっかけになる本であれば、と思うのです。